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■杉沢村事件~津山事件

2009年03月25日 01:52

NETが復活しまして久々なのですがたまにはオカルト話でも・・・


「かつて青森県の山中に杉沢村という村があり、昭和の初期、突然発狂したひとりの村人が、村民全員を殺して自らも命を絶つ、という事件が起きた。誰もいなくなった村は、隣村に編入され廃村となり地図や県の公式文書から消去された。しかし、その廃墟は、悪霊の棲み家となって現在も存在し、そこを訪れた者は二度と戻っては来られない」

昔から語られている都市伝説と言うより田舎伝説。

杉沢村という村(集落)が過去、青森県内に存在したことは事実である。ただし、正確には「杉沢」ではなく「小杉」という地名であった。現在の青森市郊外にあたる「小畑沢」という地区の小字で、その名の由来は「杉林の中を沢が流れていたから」など諸説あるが、小杉地区を通称として「杉沢村」と呼んでいたのは事実らしく、また小畑沢地区は実際に廃集落である。

これの元になったと言われる実際に起こった惨劇が津山事件である。


1938年(昭和13年)5月21日未明に岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂元両部落で発生した大量殺人事件である。2時間足らずで30名(自殺した犯人を含めると31名)が死亡し、3名が重軽傷を負うという、日本の犯罪史上前代未聞の殺戮事件であった。


幼少期からの生活
犯人の都井睦雄(とい むつお)は1917年3月5日、岡山県苫田郡加茂村大字倉見に生まれた。2歳のときに父を、3歳のときに母を、ともに肺結核で亡くしたため祖母が後見人となり、姉とともに祖母の元に引き取られた。6歳の時に一家(祖母・姉・都井、戸主は都井)は祖母の生まれ故郷の貝尾部落に引っ越した。

都井家にはある程度の資産があり、畑作と併せて比較的楽に生活を送ることができた。祖母は自身の体調不良等を理由に、都井に家中にいることを要求したため、都井の尋常高等小学校への就学は1年遅れ、就学後もたびたび欠席を余儀なくされたが成績は優秀だった。その後担任教師に岡山市内の中学校(旧制)への進学を勧められたが、祖母に反対されたために断念せざるを得なくなった。

都井は、尋常高等小学校を卒業直後に肋膜炎を患って医師から農作業を禁止され、無為な生活を送っていた。病状はすぐに快方に向かい、補習学校(後に青年学校に改組)に入学したが、姉が結婚した頃から徐々に学業を厭い、家に引き篭もるようになっていき、同年代の人間と関わることはなかった。一方で、自身が子供向けに作り直した小説を近所の子供達に読み聞かせて、彼等の人気を博した。さらに、近隣の女性達とこの地域での風習でもあった夜這い等の形で関係を持つようになっていった。

しかし、都井は事件の前年、1937年に徴兵検査を受けた際に、結核を理由に丙種合格(実質上の不合格)とされた。その頃から、都井はこれまで関係を持った女性たちに、都井の丙種合格や結核を理由に関係を拒絶されるようになった



凶器の入手
同年、狩猟免許を取得して津山で2連発猟銃を購入。翌1938年にはそれを神戸で下取りに出し猛獣用の12番口径5連発ブローニング猟銃を購入。毎日山にこもって射撃練習に励むようになり、毎夜猟銃を手に村を徘徊して近隣の人間に不安を与えるに至った。都井はこの頃から犯行準備のため、自宅や土地を担保に借金をしていた。

しかし祖母が、都井が祖母の病気治療目的で味噌汁に薬を入れているところを目撃して「孫に毒殺される」と大騒ぎして警察に訴えたため家宅捜索を受け、猟銃一式の他、日本刀・短刀・匕首などを押収され、猟銃免許も取り消された。

都井はこの一件により凶器類をすべて失ったが、知人を通じて猟銃や弾薬を購入したり、刀剣愛好家から日本刀を譲り受けるなどの方法により、再び凶器類を揃え、犯行準備を進めていった。

そして、以前懇意にしていたもののその後都井の元から去り、他の村へ嫁いだ女性が村に里帰りしてきた1938年5月21日の深夜、犯行が行われた。



犯行

犯行準備
都井は事件の数日前から実姉を始め、数名に宛てた長文の遺書を書いていた。更に自ら自転車で隣町の加茂町駐在所まで走り、難を逃れた住民が救援を求めるのに必要な時間をあらかじめ把握しておくなど(当時、西加茂村駐在所の巡査は出征で欠員中だった)犯行に向け周到な準備を進めていたことが後の捜査で判明している。自分の姉に対して遺した手紙は、「姉さん、早く病気を治して下さい。この世で強く生きて下さい」という内容である。

1938年5月20日午後5時頃、都井は電柱によじ登り送電線を切断、貝尾部落のみを全面的に停電させる。しかし村人たちは停電を特に不審に思わず、これについて電気の管理会社への通報や、原因の特定などを試みることはなかった。

1938年5月21日1時40分頃、都井は行動を開始する。詰襟の学生服に軍用のゲートルと地下足袋を身に着け、頭には鉢巻を締め小型懐中電灯を両側に1本ずつ結わえ付けた。首からは自転車用のナショナルランプを提げ、腰には日本刀一振りと匕首を二振り、手には改造した9連発ブローニング猟銃を持った。



犯行決行
都井は最初に、自宅で就寝中の祖母の首を斧で刎ねて即死させた。その後、近隣の住人を約1時間半のうちに、次々と改造猟銃と日本刀で殺害していった。

被害者たちの証言によると、この一連の凶行は極めて計画的かつ冷静に行われたとされている。「頼むけん、こらえてつかあさい」と足元に跪いて命乞いをする老人に都井は「お前んとこにはもともと恨みも持っとらんじゃったが、嫁をもろうたから殺さにゃいけんようになった」と言って猟銃を発砲した(彼は重傷を負い、後に死亡した)。しかしある宅の老人は返り血に染まった都井の姿に脅え、逃げることも出来ずに茫然としていたところ、「お前はわしの悪口を言わんじゃったから、堪えてやるけんの」と言われて見逃されたという。またある宅でも、その家の主人が「決して動かんから助けてくれ」と必死に哀願したところ都井は「それほどまでに命が惜しいんか。よし、助けてやるけん」と言い残しその場を立ち去っている。

都井の凶行はさらに続き、最終的に事件の被害者は死者30名(即死28名、重傷のち死亡2名)、重軽傷者3名にのぼった。死者のうち5名が16歳未満である。計11軒の家が押し入られ、そのうち3軒が一家全員が殺害され4軒の家が生存者1名のみとなった。押し入られた家の生存者たちは、激しい銃声と都井の怒鳴り声を聞き、すぐに身を隠すなどして助かった。また、2名は襲撃の夜に村に不在だったため難を逃れている。



自殺と遺書
そして約一時間半に及ぶ犯行後、都井は遺書用の鉛筆と紙を借りるため、隣の部落の一軒家を訪れた。家人は都井の異様な風体に驚いて動けない状態だったが、その家の子供が以前から都井の話を聞きに来ていた縁から顔見知りであったため、その子供に頼み鉛筆と紙を譲り受けた。都井は去り際にこの子供へ「うんと勉強して偉くなれよ」と声をかけている。その後、3.5km離れた仙の城と呼ばれていた荒坂峠の山頂にて、追加の遺書を書いた後、猟銃で自殺した。

都井の遺体は翌朝になって山狩りで発見された。猟銃で自らの心臓を撃ち抜いており、即死したとみられている。

都井は遺書の中で、この日に犯行を起こす決意をしたのは、以前都井と関係があったにもかかわらず他家に嫁いだ女性が、貝尾に里帰りしていたからとしている。しかし、この女性は実家に都井が踏み込んで来たときに逃げ出して助かり、逆に逃げ込んだ家の家人が射殺される場面もあった。他にもかねてから殺すつもりの相手が他所へ引っ越したり、他者の妨害にあったりして殺害することができなかったことと併せて、都井は「うつべきをうたずうたいでもよいものをうった」として反省している。また、同じく遺書には、真っ先に祖母を手に掛けたのは、「後に残る不びんを考えてつい」と書かれている。

事件後
この事件は、前代未聞の惨劇として、ラジオや新聞などのマスコミがセンセーショナルに報道して、「少年倶楽部」までもこの事件を特集するほどだった。一部には当時は日中戦争の真っ最中であり、報道管制が敷かれたという説もあったが、その事実はなかった。

この事件が貝尾部落に与えた影響は大きく、前述のように、一家全滅したところもあれば一家の大部分を失ったところもあり、部落の大部分が農業で生計を立てているため、かなり生活が苦しくなったとされている。さらに、都井の親族であり、都井から襲撃を受けることのなかった一家が、企みを前々から知っていて隠していたのではないかと疑われ、村八分に近い扱いを受けたともいわれている。

また、当時の識者の間では、警察の取締りの不備を強く批判するものが多かったが、中には、1913年にドイツで起こった「ワグナー事件」との類似性を指摘し、都井の自殺を惜しんで「ぜひとも医学上の研究対象にすべきだった」との声もあった。

事件後、犯人の都井が警察による取り調べを受ける前に自殺し、さらに多くの被害者が亡くなったため、生存者による証言しか残っていない。しかし、生存者のほとんどが亡くなった被害者の誰かしらと親類関係がある状態で、すべての罪を都井にかぶせるようなものが多いという意見もある。さらに、都井が死亡した以上、例えば都井と関係があったと噂される女性でも本人が否定してしまえば確認する方法はなく、事実関係が不明な部分も多く残った。また、この事件の発生から70年が経った現在でも、現地ではタブー視扱いとされている



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もっと詳しく知りたい方は コチラ  へ


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